アクティビティ

  • おーぐっちゃん が更新を投稿 2019年6月15日 10:53 PM

    押川先生がYouTubeで配信されている,膵がんに関するある動画での(激しい)コメントの応酬を拝読しています。(押川先生のアメブロでも紹介されています。)
    代替療法を全否定はしないが標準治療をまずは大事にしてほしいという先生のお気持ちと,膵がんは標準治療では希望が持てないから代替療法にすがってしまうことが何故分からないのかというコメント者のお気持ちと…。(私のミスリードでしたら,申し訳ありません。)
    どちらのお気持ちも,理解できると思うところがあると感じます。それだけに,なぜいつも,標準治療と代替療法との間で,反発や対立が起きてしまうのだろうか…,何とか双方が手を携えて,膵がん患者に少しでも希望をもたらすような道を見出せないものか…,と思ってしまいました。傍観者の身勝手な願望かも知れませんが…。
    ところで,関西医大のクラウドファンディング,思わずクリックしてしまいました。治験の成功を願わずにはいられません。

    4+
    • にっこう さんが2か月 1週前に返信

      私も先ほど、ユーチューブを拝見しました。先生には先生の考えで発言したのしょう。先生が全知全能の神なら120%信じます。私の主治医も術後同じ様な話をしましたが現実と事実は違うから希望を持って頑張りなよ。しっかり運動、しっかり食べてA1Cを調整して生きていきなよ。先日も「このまま粘りなよ、希望が見えて来た」と、例えこれから先どうであれ今日まで来れたことは本望です。色んな考えが有り意見の違いも有るでしょうが垣根を超えて前回も云いましたが手を取り合い膵臓癌を克服する事を願ってやまないです。心の深さを知らずの、私の発言ならお許を。この病気で逝った人のことを想うと切ないです。

      2+
    • FIT393 さんが2か月前に返信

      押川先生の理屈は、僕は共感出来る部分が多々有ります。ただし、一方で患者や家族の魂の叫びは理屈では解決しません。
      反論されている方の根拠は、この魂の叫びでしょう。
      代替医療も様々あって、それこそ第三相試験が出来なかったものから神社でのお参りに近いレベルまで。
      この優先順位を理屈で語るのは簡単だけど、そこにもうひとつ、患者や家族の気持ちに寄り添う言葉があると嬉しいかな、とは思います。

      3+
    • キノシタ さんが2か月前に返信

      押川先生の言われることはよく理解できます。医療者としてはまっとうな考え方だとは思います。しかし、がん患者としては、やはりどこか視点が違うんですよね。

      がん患者の生死観を著した古典的な名著、岸本英夫氏の『死を見つめる心』には次のようなことが書かれています。

      生死観を語る場合、もっと切実な緊迫したもう一つの立場がある。それは、自分自身の心が、「生命飢餓状態」に置かれている場合の生死観である。腹の底から突き上げてくるような生命に対する執着や、心臓をまで凍らせてしまうかと思われる死の脅威に脅かされて、いてもたってもいられない状態におかれた場合の生死観である。ギリギリの死の巌頭に立って、必死でつかもうとする自分の生死観である。

      岸本氏の言う「生命飢餓状態」は、がんを告知され、末期がんになった者でなければ、やはりわからないのだろうと思う。

      そうした時に患者は、何かの希望にすがろうとする。いや、頭の中では自分の命が長くないことは分かっていて、遺言状を書いたり、自分の葬儀の準備をするなどの行為と並行して、治るための治療法を探そうとする。これが人間として当たり前の姿ではないでしょうか。

      別の見方をすれば、医療チームの一員として、自分も自分の治療チームに最期のときまで参加し続けたいという、真っ当な願いでもあると思います。

      押川先生と同じように緩和ケア医であり腫瘍内科医でもある西智弘先生は『がんを抱えて、自分らしく生きたい』の中で、このように語っています。

      「がん治療を求め続けるという生き方があってもいい」
      医者が勧める通りに治療を選択しても、見ているゴールが、医者と患者で一致していないことはざらにあります。医者は延命のための治療をしているのに、患者は治癒を期待して治療に取り組んでいるということもたくさんあります。

      しかし西先生は、治癒を期待し続けるとか、治療を求め続ける生き方だって肯定されるべきだと思う、と書かれています。

      がんという病気を抱えた人を、周囲が「もう死ぬ人」と決めつけた目で見始める。自分たちとは違う人間なんだと区別を始める。その視線が、患者さんから生きる力を奪っていく。視線を無視できればいいのだが、それから逃れるために「私は治療を諦めたわけではない」と、治療を求め続ける方もいる。

      同じ医療者と言っても、死生観や患者の希望に寄り添う考えというのは様々です。統計的に言えば無理な治療を続けることによって返って不幸になる患者さんが多数いて、それを見てきた医療者は合理的に考えれば、押川先生のような提案をするのでしょう。それは決して間違ってはいません。

      しかし、患者としては自己の責任において「自分らしく生きる」とはどういうことか。何が大切なことなのかをはっきりさせて、それに従って生きればいいのだと思います。

      0
    • ひぃ さんが2か月前に返信

      すごく嫌な意見です。
      遺族になると
      スイカより鳥のササミを食べて!ソーメンなんかカロリー低いからもっと食べて!
      そんな気持ちと焦りだったけど
      母は再発前はひどい味覚障害で
      ソーメン、スイカ、フルーツがメインでした。こんなんじゃ悪液質になっちゃうよとアルブミンばかり見ていました。
      スイカでも夏蜜柑でも美味しいって食べてる顔みて笑ってたら。手の平大のササミ食べてよ!と怒った事を反省してます。食べられないから食べなかった。ワガママじゃなかった。母は術後の味覚障害ですでに体力の限界だった。
      全ては本人の意思。
      体力のある方はお金の価値観は違うのでガン難民にならない事だけ考え好きな様にしたらよし。

      がんは全て同じで無い。
      本人がやりたい!と希望を持つならやれば良い。
      細い血管に何度も何度も針探られるのも苦痛、病院に時間取られる事が嫌な事もある訳で
      家族でもよーく調べてから提案して欲しいと思います、

      1+